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- 八軒屋(近世)とは
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八軒屋(近世) 江戸期~明治12年の町名江戸期は洲本城下の1町武家地明治初年津田を冠称城下西部地名の由来は,もと8軒の家があって八軒家と称していたことによるという「味地草」の洲本府の条に所載の図によれば,寺町の東に並行する南北の通りに鉄炮町八軒屋筋,あるいは八軒屋通りとあって,道幅2間2尺同書によると,延宝元年改正洲府の図に家数8,田畝の反別1町余稲田九郎兵衛分と記されているという明治期になって八軒屋通りで行止りであった道を,寺町を貫通して物部川まで通し,同川に橋を架け渡した明治12年洲本川傍町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」