ケータイ辞書JLogosロゴ 八町島村(近世)


福岡県>久留米市

 江戸期〜明治22年の村名。御井郡のうち。文禄年間,当地が筑前の小早川家領となったとき,岩橋麟可が取り計らって子息を庄屋役にあてたという(岩橋百代集)。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。用丸組に属す。村高は,「元禄国絵図」557石余,「在方諸覚書」の古高850石余,「天保郷帳」579石余,「旧高旧領」1,209石余。文化4年には田45町余・畑田21町9反余・畑25町5反余・居屋敷1町3反余(農政農民史料集)。用水は床島水道北廻り水路による。鎮守は天満宮で,神事に「御供納め」があり,毎年旧暦11月,斎戒沐浴した3歳から10歳までの小児が籠り堂で夜を明かし,翌日烏帽子・白衣姿で天神堀に舟を出し,3斗3升の俵詰めの米を水中に投げ入れて水神に捧げる。筑後の水神祭祀の古い姿を止める行事である。東部を松崎宿経由の筑前街道が通る。明治17年の戸数126・人口621。同22年宮ノ陣村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442565
最終更新日:2009-03-01




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