ケータイ辞書JLogosロゴ 花熊村(近世)


福岡県>犀川町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国仲津郡のうち。小倉藩領。長井手永に属す。村高は,「正保国絵図」480石余,「元禄国絵図」479石余,「天保郷帳」694石余,「旧高旧領」736石余。細川氏時代は2藩士の相給で,元和8年の家数67・人数93(男47・女46),牛13・馬6,鍛冶・坊主がいた(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は108人(開善寺過去帳)。字宮山の二児神社(祭神は日本武尊)は,もと馬ケ岳の山頂にあったが,天慶年間現在地に移したという。二児大明神とも称し,昔より安産・育児の神として近郷民の尊崇が厚い。ほかに字木数に貴船神社がある。字迫田には曹洞宗白雲山明光寺,また浦谷庵・一心庵があったという(京都郡誌)。慶応3年頃香春【かわら】藩士31家が村内に入居(県史料叢書)。明治3年の戸数66・人口300(男155・女145)。同16年真宗大谷派恩高寺が仲津郡今井村から字末石へ移転。同18年の地積は田42町余・畑10町余・宅地3町余(京都郡誌)。小学校は明治7年設立,教員は柏木小三郎,生徒数は男37・女21。同22年西犀川【にしさいがわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442572
最終更新日:2009-03-01




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