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- 原村(中世)とは
「原村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 原村(中世) 室町期~戦国期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 室町期に見える村名丹波国何鹿【いかるが】郡のうち応永10年11月24日の将軍足利義満充行状に「漢部郷〈除原村〉」とあり,当村を除く漢部郷などが上杉憲定に宛行われ,応永19年8月7日には将軍足利義持によって安堵されている(上杉家古文書1/大日古)その後,「蔭凉軒日録」寛正4年12月25日条によれば,「彼院(勝智院)領丹波国原村」について争論があり,上杉中務に支証を出すよう訴えているしかし,同6年8月27日条では,当村が飯尾左衛門大夫より飯尾四郎左衛門尉に譲与されており,28日条では当村に関する訴状が四郎左衛門尉に渡され,同年9月6日条では当村の支証を四郎左衛門尉に渡すよう飯尾左衛門大夫雑掌に命じられているこの争論の帰趨は未詳だが,文正元年4月26日条では上杉氏の知行が確認されるなお,寛政2年9月10日の何鹿郡所領注文にも「原村」と見え,安国寺再建の棟別銭が課されている(安国寺文書/綾部市史史料編)比定地は綾部市西原町・上原町・下原町あたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 室町期~戦国期に見える村名大隅国禰寝【ねじめ】院南俣田代村のうち応永5年12月25日付の刑部少輔建部清久から宗次郎久助への譲状に「大隅国田代内」の1所として見える(田代文書/旧記雑録)同譲状によれば当村の四至は「東限中薗水田〈小山下二反,薬師堂前二反〉,南限前溝,西限小薗後水田赤崎田三反,北限永谷河下湯谷をさかふ」とされている下って,文禄2年3月23日付の建部重虎知行宛行状によれば,「一〈田代郷原村〉四段壱畝十五分 三斛五斗五升四合」と見え,村山源兵衛尉に宛行われている(禰寝文書)田代町麓の永谷付近一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 南北朝期に見える村名播磨国加東郡大部荘のうち南北朝期頃と推定される4月4日の東大寺両堂納所書状に「抑先度御注進候原村際(境)目相乱之事,垂井方之押妨者于今不停候哉」と見え,当村は垂井と境を接していたと思われ,同地からの押妨を受けていたとみられる(浄土寺文書)現在の小野市内であるが,詳細な比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原村(中世) 鎌倉期に見える村名... |
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![]() | 原村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」