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原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期の村名日向国諸県【もろかた】郡のうち大淀川支流萩原川右岸に位置する鹿児島藩直轄領都城郷に属す村高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」ではともに1,353石余元禄11年「日向国覚書」には,当村とは別に「原口村 榶木【へぼのき】村」「原口村内 森木園村」の名が見えるが,村高の記載はないこのように幕府へ提出された郷帳類には当村名が見えるが,「薩藩政要録」や「島津家列朝制度」など鹿児島藩の行政的な史料ではほとんど見受けられず,藩領内では上長飯【かみながえ】村と称するのが一般的であった「旧高旧領」には上長飯村と見え,村高1,843石余とあるなお,明治前期の「日向地誌」は元禄15年頃までは原口村と後久村の2か村に分かれていたが,そののち合併して上長飯村と改称したと記す... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治9年の村名阿蘇郡のうち九州山地北西部,川走川左岸に位置する江戸末期までに草ケ部村から分村したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」232石余「肥後国誌補遺」では野尻手永に属し,高232石余寛政2年の手鑑によると,戸数26・人口116,牛23・馬7(高森町史)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年芹口村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
原口村(近世) 江戸期~明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野中央部,坪井川上流と井芹川上流に挟まれた台地上に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」259石余「肥後国誌」によれば五町手永に属し,高259石余,小村に古閑山がある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年明徳村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」