ケータイ辞書JLogosロゴ 提村(近世)


福岡県>苅田町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国京都【みやこ】郡のうち。小倉藩領。新津手永に属す。村高は,「正保国絵図」360石余,「元禄国絵図」290石余,「天保郷帳」421石余,「旧高旧領」416石余。元和8年の家数37・人数82(男40・女42),牛8・馬3(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は33人(開善寺過去帳)。字ススキ原に貴船神社,字研石に研石神社があり,字鉢ケ久保の清地神社(疫病神)は旧暦正月の7日には遠く郡外からの参拝者でにぎわった(京都郡誌)。字原ノ前の浄土宗西山派善立寺はもと字和田にあったが,元亀3年苅屋所兵衛がその家の隣地(現在地)に移したという。文政年間火災にあい,慶応2年の長州戦争の兵火にもあって焼失(京都郡誌)。ほかに天明年間の寺院聚録では観音堂・釈迦堂・観音堂(辻堂)・地蔵堂・阿弥陀堂・立栄山善正寺などが見え,また修験居住の観音堂があった。慶応2年長州戦争の兵火にあい,8月20日〜9月2日の間野戦病院が開設(豊長記事)。明治3年の戸数27・人口122(男54・女68)。同18年の地積は田22町・畑11町・宅地2町余(京都郡誌)。明治6年苅田小学校の前身日進校を二見庄屋役宅に創立。同22年苅田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442774
最終更新日:2009-03-01




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