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- 久末(中世)とは
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久末(中世) 戦国期に見える地名越前国吉田郡藤島荘のうち照厳寺(現金津町)の故地の1つ「証如上人日記」天文6年12月7日条に「就当番之儀,久末称厳寺とりすへ三,小豆餅二鉢,にだる一か来候」と見え,本願寺に酒肴を進上している照厳寺由緒書は「照厳寺者覚如上人之御舎弟行覚法眼之開闢ニ而,始者越中之国氷見ニ住居致シ,其の後越前久末村へ移り申候者,巧如上人御代と相見ヘ候」と述べており,照厳寺が巧如の代に久末に移ったことを本尊覚書の記事から推定しているまた照厳寺系図では二世覚順の項に「善如上人依高命,応安七〈甲寅〉年越前吉田郡藤島郷久末邑〈今幾久邑ト云々〉移住」とある(一向一揆資料)久末は近世の幾久村にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久末(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久末(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡来縄【くなわ】郷のうち現在の豊後高田市河内地区大字小田原付近と思われるが比定地未詳「弘安図田帳」に,「来縄郷三百町宇佐宮領……久末五町地頭職 小田原弥次郎頼景」とあるのが唯一の史料(大友史料3)小田原【こだわら】氏は,大友能直の弟(近藤能成二子)で,大友氏に従って豊後に下向した古荘重能の後で(豊後古荘・小田原系図/大友史料1),代々現豊後高田市河内地区大字小田原【こだわら】に住したという... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」