ケータイ辞書JLogosロゴ 広津村(近世)


福岡県>吉富町

 江戸期〜明治22年の村名。上毛郡のうち。寛永17年小犬丸村を分村する(築上郡志)。はじめ小倉藩領,寛永9年からは中津藩領。中村組に属す。村高は,「正保国絵図」570石余,「元禄国絵図」613石余,「天保郷帳」918石余,「旧高旧領」749石。「天保郷帳」の石高には小犬丸村を含むと考えられる。寛文2年の大洪水で小祝島ができた。文化9年の大一揆では庄屋良助の家が打ち壊されている。当地を経由して大ノ瀬と中津を結ぶ道路は,文政9年に竣工した。三神社・瑜珈稲荷神社・琴比羅神社・天仲寺・広運寺がある。明治6年に寺院を借用して金山小学校が開設,同9年移転して広津小学校となる。同11年の戸数197・人口835。同21年の戸数166・人口945,反別77町2反(県史資料3)。同22年東吉富村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442897
最終更新日:2009-03-01




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