ケータイ辞書JLogosロゴ 広渡(中世)


福岡県>遠賀町

 室町期から見える地名。筑前国御牧【みまき】郡(遠賀郡)のうち。広渡村とも見える。室町期の応永32年7月10日,渋川満頼に対する足利義持御教書案によれば,筑前国御牧郡内の頓野・広渡・底井野・香月・上津役等跡が満頼に宛行われた(蜷川家文書1/大日古)。下って戦国期の弘治2年9月5日の大内義長袖判下文写に「筑前国御牧郡広渡拾石足地〈杉伯耆守跡〉事」とあり,義長から渡辺主計允に給与されている(萩藩閥閲録166)。また天正6年6月1日の日付をもつ宗像第一宮御宝殿置札の記すところによれば,大友氏に攻められ,いったん大島へ退いていた宗像大宮司氏貞は,永禄3年にいたり反撃に出,本領を回復した。そのなかに遠賀荘が含まれ,「限芦屋津,広渡両村」と注記されていることから,広渡村は同荘の内に含まれていたことがうかがわれる(宗像記追考/宗像郡誌)。なお,天正年間の「指出前之帳」によれば,当村の地積・分米は田29町余・229石余,畠5町余・22石余,合計34町余・252石余。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442902
最終更新日:2009-03-01




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