ケータイ辞書JLogosロゴ 福久村(近世)


福岡県>吉井町

江戸期〜明治9年の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち耳納【みのう】山地東部の北方,筑後川とその支流隈上川の合流点付近に位置する地形は扇状地であるはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領寛保3年には岸藤太夫が80石を知行(給知高帳)石井組に属す村高は,「元禄国絵図」61石余,「在方諸覚書」の古高80石,「天保郷帳」76石余,「旧高旧領」107石余宝暦年間頃の役高は109石,庄屋文平は今丸村庄屋も兼任(在方諸覚書)文化4年の耕地は田5町余・畑田1町余・畑1町余(農政農民史料集)水利は大石・長野水道を利用するが,水道築造計画には当初水難を恐れて反対した(吉井町誌)享保5年6月の大山汐・大洪水では「至極破損」という大きな被害を蒙った(石原家記)産土神を祀る老松天神,弁才天がある(寛延記)明治9年桜井村の一部となる現在の吉井町桜井の一部にあたる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7442956
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ