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- 藤山村(近世)とは
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藤山村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国日田【ひた】郡夜開【やけ】郷のうち花月【かげつ】川左岸,同川に小野川が合流する付近に位置するはじめ幕府領,元和2年日田藩石川領,寛永10年からは幕府領で小野筋に所属村高は「正保郷帳」194石余,うち田170石余・畑24石余,「見稲簿」200石余,「天保郷帳」「旧高旧領」201石余天和・貞享年間頃は金山辺地16か村に所属正徳2年の庄屋は財津・羽野・河内村と同じ中世以来の財津氏の一門で,台村庄屋も兼帯持高は庄屋父子と本家河内庄屋を合わせて村高の66%(九州天領の研究)嘉永3年の家数28・人数131(日田郡村々高付帳)明治4年大分県に所属同8年秋原【あきばる】・市瀬【いちのせ】・伏木・台村の4か村と合併して花月【はなつき】村となる現在の日田市大字花月のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」