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- 船津町(近世~近代)とは
「船津町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 船津町(近世~近代)
江戸期~昭和39年の町名江戸期は福岡城下の1町那珂川河口左岸,城下の北東部で海岸近くに位置するもと洲崎町と称していたが,火災が続いたので宝暦10年に船津町と改称...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7443060]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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船津町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は鹿児島城下下町のうち明治22年からは鹿児島市の町名北は呉服町,東は新町,南は松原通町に接する(県地誌)明治10年代の戸籍簿による戸数497,うち士族27・平民470,職業は無職13・不明54・農業4・雑業322・医師1・巡査1・工18・大工6・石工7・左官1・塗工1・金銀細工1・鍛冶12・仕立物1・煙草切2・傘屋1・理髪1・樋屋2・商32・紙1・煙草4・古物3・古金道具4・薬1・印判1・附揚1・菓子2(鹿児島市史)明治20年頃の戸数164同41年の戸数170・人口735世帯数・人口は,大正11年177世帯・1,066人,昭和10年198世帯・1,069人同年一部が千日町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」