ケータイ辞書JLogosロゴ 古川村(近世)


福岡県>犀川町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国仲津郡のうち。小倉藩領。長井手永に属す。村高は,「正保国絵図」400石余,「元禄国絵図」437石余,「天保郷帳」584石余,「旧高旧領」584石余。細川氏時代は蔵入地と藩士2名知行地の相給で,元和8年の家数50・人数125(男62・女63),牛13・馬6,鍛冶がいた(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は56人(開善寺過去帳)。字フクリ尻に貴船神社がある。字屋敷の真宗本願寺派慈光寺は,馬ケ岳城主の兵に襲われ天正8年横死した大村不動ケ岳城主西郷刑部高頼の開基,もと字慈光寺にあった。字向井には曹洞宗清水山象田寺がある。慶応3年香春【かわら】藩士20家が村内に入居(県史料叢書)。明治3年の戸数59・人口257(男132・女125)。同18年の地積は田36町余・畑3町余・宅地3町余(京都郡誌)。明治6年小学校を設立。同7年の教員は守田伝重ほか1,生徒数は男27・女8。明治10年代の校舎は字居屋敷,生徒数男50・女10,のち男71・女10。一時は当村のほか末江・続命院・久富・八ツ溝・下高屋6か村の児童を収容(京都郡誌)。同22年東犀川【ひがしさいがわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443074
最終更新日:2009-03-01




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