ケータイ辞書JLogosロゴ 帆柱村(近世)


福岡県>犀川町

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国仲津郡のうち。小倉藩領。節丸手永に属す。村高は,「正保国絵図」90石余,「元禄国絵図」101石余,「天保郷帳」138石余,「旧高旧領」142石余。元和8年の家数19・人数65(男34・女31),牛9,牢人がいた(人畜改帳)。享保飢饉の餓死者は76人(開善寺過去帳)。字一本木には大山祇神社(山霊社)がある。典型的な山村で水田面積が少なく,焼畑農業や狩猟で自給自足の生活を営み,同姓集住の傾向が強かった。字楠木の永沼家は代々庄屋をつとめ,天保10年建立の家屋はその普請帳とともに現存し,国重文。明治3年の戸数63・人口279(男150・女129)。同18年の地積は田14町余・畑2町余・宅地1町余(京都郡誌)。明治13年真宗大谷派教善寺が字久保に創建。明治7年医師永沼玄岱の出資で開帆小学校設立,教員は勢島彦次郎,生徒数は男28・女5。のち扇谷村の児童も通学し,一時は伊良原小学校の分校となった。同22年伊良原村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443159
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ