ケータイ辞書JLogosロゴ 松山(近代)


福岡県>苅田町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ苅田村,大正13年からは苅田町の大字。明治22年の戸数12・人口78,地積は田3町など計5町。大正7年字荒崎に豊国セメント苅田工場が設立され,以後苅田の工業都市化が始まった。苅田港の建設は昭和14年に着工,第2次大戦により中断されたが昭和26年に工事再開。南方海面の埋立,港湾設備の整備に伴い,周辺の工場化が一段と進んだ。同42年には東方海面の埋立が始まり,松山工業用地が造成され,同47年鳥越町が起立。同52年には東方4kmの海面に土砂処分埋立てが始まり,北九州空港の建設を計画中。昭和35年一部が松原町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443309
最終更新日:2009-03-01




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