間真田村(中世)
南北朝期に見える村名。筑後国下妻郡のうち。貞和3年3月10日,肥前長嶋郡後藤の藤原貞国(沙弥涌念)が同国原山に住む僧の瑜俊に譲った所領のなかに,「下妻庄内河口間真田村田地四町〈河口五郎太郎跡〉」と見える(反故廼裏見来之巻十八所収/南北朝遺2314)。文禄4年の筑後国知行方目録に,「千六拾八石 馬間田村」とある(立花文書/県史資料4)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443312
最終更新日:2009-03-01