ケータイ辞書JLogosロゴ 水田村(近世)


福岡県>筑後市

 江戸期〜明治22年の村名。下妻郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。中折地組に属す。文禄4年の筑後国知行方目録に「弐千百九拾七石六斗弐升 みつ田村」と見える(立花文書/県史資料4)。村高は,「元禄国絵図」777石,「在方諸覚書」の古高160石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに563石余。水田焼は藩の御用窯で,半田鍋など各種の土器をつくった。赤坂焼のもととなる(筑後秘鑑)。禅宗の来迎寺,天台宗の光運寺がある。文化4年の本田6町7反余・畑田2町1反余・畑1町9反余・居屋敷1反余,春免高154石(農政農民史料集)。嘉永5年久留米の水天宮祠官真木和泉が,水田天満宮祠官大鳥居信臣の家(のち同地山梔窩)に幽閉された。勤王家淵上謙三・郁太郎兄弟,大鳥居次郎らの出生地。明治6年勧善小学創設,同12年水田小学校新築。同17年の戸数191・人口1,061。同22年水田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443378
最終更新日:2009-03-01




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