ケータイ辞書JLogosロゴ 三角村(近世)


福岡県>吉井町

江戸期〜明治9年の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち耳納【みのう】山地東部の北方,筑後川中流左岸の微高地上に位置し,南に巨勢【こせ】川があるはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領石井組に属す村高は,「元禄国絵図」44石余,「在方諸覚書」の古高110石,「天保郷帳」53石余,「旧高旧領」146石余宝暦年間頃の役高は119石,大庄屋石井弥六郎が四太郎村とともに庄屋を掛持ち(在方諸覚書)文化4年の耕地は田6町余・畑田3町余(農政農民史料集)豊後街道および星野村・小江【おえ】村船渡しへ通じる道路沿いの村である享保5年6月の大山汐・大洪水では「至極破損」という大きな被害を蒙った(石原家記)産土神を祀る天神がある(寛延記)明治9年清瀬村の一部となる現在の吉井町清瀬の一部にあたる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443386
最終更新日:2009-03-01




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