ケータイ辞書JLogosロゴ 筵内村(近世)


福岡県>古賀市

 江戸期〜明治22年の村名。粕屋郡のうち。福岡藩領。下原触に属す。村高は,「慶長国絵図」2,208石余,「正保郷帳」2,477石余(田1,903石余・畠573石余),「元禄国絵図」2,477石余,「天保郷帳」2,667石余,「旧高旧領」1,618石余。本村の西に枝村の久保村・満本村がある。大村で上・下に分かれ,庄屋は2名置かれた。村高のうち353石は黒田長政以来の福岡藩の重臣斎藤氏の知行地で,また167石は竹森氏の知行地であった。宝永3年には水損を克服するため,席内新川を掘った。正徳元年には散田が多すぎて,農業経営の危機を招き,これを救うため田地を請け返す仕法がとられた。安政5年の人数661,うち男345・女316(古賀町誌)。曹洞宗医王寺・浄土宗鎮西派谿雲寺と熊野神社がある。久保村は幕末・維新期に分村独立。明治初期の戸数163・人口707(男363・女344),溜池17,田99町余・畠49町余・山林56町余・新開地2町8反ほど,正税は米・大豆641石余,雑税は米・大豆19石余と金8円21銭余,物産は柿・鶏卵・櫨実・酒・酢・醤油・種油など(地理全誌)。同22年席内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443605
最終更新日:2009-03-01




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