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- 屋形原村(近世)とは
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屋形原村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
屋形原村(近世) 江戸期の村名三根【みね】郡のうち背振山地の南東,鎮西【ちんぜい】山南麓の丘陵地に位置する村名の由来は鎮西城主の居館があったことにちなむという佐賀本藩領綾部郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では222石余,「天保郷帳」では282石余「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では小村に鳥越村・大鳥井村があるが,「天明郷村帳」では鳥越村は別に1村として見え,大鳥井村は鳥越村の小村となっている給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では佐野右衛門201石余,「大小配分石高帳」では佐野幸兵衛126石余・晴気作一郎16石余・多久勘助15石余・佐野金兵衛7石余・靏七右衛門7石余・辻勝平5石鎮守は天満神社天台宗永昌山青松寺は,もとは浄土宗で寛文11年に改宗「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに堤村の枝村として見える「明治11年戸口帳」では,堤村のうちに「屋形原」と見え,戸数38・人口166... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」