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- 安永村(近世)とは
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安永村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安永村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安永村(近世) 江戸期~明治20年の村名豊前国田川郡のうち遠賀【おんが】川支流の彦山川上流左岸に位置する地内東部に条里制の跡が見られる小倉藩領伊田手永に属す村高は,「正保国絵図」270石余,「元禄国絵図」210石余,「天保郷帳」373石余,「旧高旧領」347石余元和8年の家数21・人数52(男27・女25),牛3・馬2(人畜改帳)明治初期の戸数28・人口127,うち男69・女58(豊前村誌)享保飢饉の餓死者は41人(開善寺過去帳)鎮守は八大竜王社で雷除・祈雨の神として崇敬され,藩主から8石の寄進をうけ,祈雨祭には6手永の大庄屋を従えて郡奉行が参拝した同社には元和5年の背銘のある傀儡8体が蔵される明治初年に安永神社と改称北部には帆立貝式前方後円墳・横穴古墳の集合墳である狐塚古墳がある明治20年大行事村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」