ケータイ辞書JLogosロゴ 夜須東郷(古代〜中世)


福岡県>甘木市

平安期〜室町期に見える郷名筑前国夜須郡のうち郡の東半部にあたる治安2年2月20日の筑前国符に「夜須東郷司」が見えるので(石清水文書/平遺486),夜須郡は東西両郷に二分されていたことが知られるこの国符は,筥崎宮塔院の申請によって,粕屋西郷所在の領田16町7反を夜須東郷に改めたものであり,条里制にもとづくその坪付が示されているが,夜須郡における条里の進行方向が明らかでないので,その位置を特定することはできないのちの依井荘の地かとも考えられるが,その確証はない下って南北朝期の観応3年2月に書写された安楽寺領注進状案に天満宮安楽寺領として「夜須東郷〈河島菩提寺〉」が見える(太宰府天満宮文書/南北朝遺3340)河島は「和名抄」夜須郡川島郷の遺称地とも考えられ,菩提寺は同地に所在した寺院の名と推定されるが,これはのちに村落名となり,現在の甘木市菩提寺に比定される下って文明12年3月,少弐政資は観世音寺の留守坊房顕に「夜須郡東郷之内郡司田壱町」などを管掌せしめたが(大内氏実録土代/大日料8-12),この郡司田の性格やその具体的な位置などについては明らかではないまた永正14年3月には筑紫百宝子丸が関係する郡郷の坪付を記しているが,その中に夜須郡東郷の内として「高田村之内五町大」が見える(筑紫古文書/嘉穂地方史古代中世編)この高田村は現在の三輪町高田と推定される「続風土記」「続風土記付録」によれば,三輪町弥永に鎮座する延喜式内社の大己貴社は夜須東郷の惣社とされ,弥永・高田・野町・依井・大塚・甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛木・馬田14か村の産土神であった夜須東郷はこれらの地域,すなわち現在の三輪町東部から,甘木市西部にわたる一帯に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443812
最終更新日:2009-03-01




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