ケータイ辞書JLogosロゴ 屋部村(近世)


福岡県>吉井町

 江戸期〜明治22年の村名。筑後国生葉郡のうち。はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領。田代組に属す。村高は,「元禄国絵図」354石余,「在方諸覚書」の古高1,000石,「天保郷帳」366石余,「旧高旧領」1,064石余。宝暦年間頃の役高は754石,久留米より5里20町(在方諸覚書)。嘉永元年頃の作柄は「田畑共ニ凡七俵」(廻村書留)。文化4年の田43町余・畑田1町余・畑20町余(農政農民史料集)。享保5年6月の大山汐で大きな被害を蒙り,家財道具その他を流失した(石原家記)。宝暦4年の大一揆では,1名が過料10貫文の処罰を受けた(久留米藩百姓一揆ニ関スル調査)。幕末に至り村民勘次が湿抜溝立てを工夫して成功したことから,以前の零落ぶりは一掃されて村柄が良くなった(廻村書留)。氏神を祀る老松大明神,浄土真宗満願寺,釈迦堂,藪神辻堂6,がらんの石3などがある(寛延記)。明治17年の戸数89・人口500(県史料叢書)。同22年福富村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443879
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ