ケータイ辞書JLogosロゴ 山口村(古代)


福岡県>碓井町

平安期に見える村名筑前国嘉麻郡のうち永長2年6月25日の大宰府政所牒案(根岸文書/平遺1375)に観世音寺領「碓井封内山口造寺村」と初めて史料上に見える同文書には,「山口造寺村」のことを単に「造寺村」とも記しており,当村が観世音寺造営のために設定された名残を示すものであろう11世紀末の永長2年と承徳2年の両度にわたって観世音寺と天満宮安楽寺との間に相論が発生し,大宰府政所の裁定を仰いでいるまず永長2年6月,天満宮安楽寺の神人らが碓井【うすい】封内の山口造寺村に苧・桑の代価を徴収しようとし,観世音寺側はその不当を訴えているさらに翌日の碓井封内山口村住人等の注進状(同前/同前1376)によれば,安楽寺使が当封内に乱入し,人馬を押し取ったというまた山口村住人らの同報告によると,天満宮の神人らが乱入し,観世音寺の氏人と称する封民(村民)らに濫妨したともいう同28日の天満宮安楽寺留守所牒案(同前/同前1378)では,天満宮側はそれに反駁し,当村が元来安楽寺領として相当年代を経ているから桑手・苧を徴収しようとしたものであり,当村の住民らが碓井封の田堵として観世音寺の威をかり,かえって天満宮使に狼藉を働いたと主張したそれに対し,同29日の大宰府政所牒案(同前/同前1379)によると,観世音寺側は反論し,当村が天満宮寺領となって年数を経ることは事実無根といい,かつ当村は前々別当安覚大法師が寛治2年に天満宮へ寄進したものであること,封民が神人と取り合いをしたのは,質物を取られないようにするためであることなどを述べた大宰府の裁定によると,安楽寺に対し,碓井封民と役駄の返還を命じているつぎに承徳2年4月1日の観世音寺三綱等解案(同前/同前1395)によると,去る3月に安楽寺の権勾当らが当村の住人越智正道の私宅に乱入,男女各1人を追捕したと観世音寺は大宰府に訴えたが,同4月5日の安楽寺牒案(同前/同前1395)によれば,安楽寺の権勾当は,碓井封に隣接する天満宮領土師荘司(現在桂川町)らとともに正道の宅に到り,例の男女を追捕したという安楽寺側の言い分では,追捕した女は,天満宮領の「山口薗」の桑を盗んで越智正道の宅に逃げこんだので捕えたが,逃亡してまた桑手絹・袴などを盗み取ったので追捕したのだと反駁したこの結果は不明であるが,碓井封民の安楽寺領への出作関係の存在を想定する見方もあるなお,当村を天満宮側は「山口薗」と呼んでいたことが知られる現在の碓井町平山字山ノ口付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7443922
最終更新日:2009-03-01




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