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- 吉田町(近世)とは
「吉田町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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吉田町(近世) 江戸期~明治22年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
吉田町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
吉田町(近世) 江戸期の町名広島城下新町組に属す広島城の東方,京橋川から猿猴川が分流して形成した三角州の北端にあり,西国街道の通る京橋町から北に分かれる街路に沿う町周囲は新開組の台屋町となる町名は移住者の郷里に由来すると思われる(新修広島市史)福島氏時代に形成された町と思われ,元和5年の城下絵図では町間数1町を記す寛永2年の家数改では本家11・借家20承応3年の切絵図では小間数54間余,家数14うち畑作り3・奉公人2・掛持6などたびたび火災に見舞われたため寛延3年新愛宕町と改称現行の京橋町のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
吉田町(近世) 江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷南組のうちもとは西国町東之方と称した(初発言上候帳面写/大阪市史5)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳による家数27軒,役数27,うち無役数2(年寄・会所),年寄は伊勢屋治右衛門「宝暦町鑑」に「立売ぼり西ニ橋北詰より一すじ内」の町とある明治2年西大組に所属同5年立売堀裏町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」