ケータイ辞書JLogosロゴ 吉原荘(中世)


福岡県>志免町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。筑前国粕屋郡のうち。建久3年3月の石清水検校成清から女子紀氏への譲状に「吉原」と見え,仁治3年8月の法印房清から嫡弟房誉への処分状にも殖木荘・田富荘と並んで「吉原荘」が見える。下って大永2年6月18日,宇美社務房秀が大内氏の被官杉豊後守に目安を提出している。それによれば,房秀の宇美宮社務還任について本家石清水田中家から異論があったらしく,房秀は自分の正当性を主張するとともに,かつて阿弥陀院が沽却してしまった「御神領田富庄吉原庄長野庄植木庄牧石村五ケ所」の返付を請うている(石清水文書1・2・6/大日古)。天正年間の「指出前之帳」には「吉原村」と見え,田66町余・分米606石余,畠6町余・分大豆23石余とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7444137
最終更新日:2009-03-01




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