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- 赤川村(近世)とは
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赤川村(近世) 江戸期~明治9年頃の村名津軽郡田舎庄のうち津軽半島の東側南部に位置する内真部【うちまつべ】川流域で,清水村付近にあったと思われるが,正確な位置は不明弘前藩領はじめ清水村の枝村であったが,享保11年の郷村改に際して一村として分立した(貞享4年検地水帳付箋・村名改称并新村創立調)村高は,「貞享4年検地水帳」では清水村の枝村として見え143石余(田127石余・畑屋敷16石余),「天保郷帳」には見えず,「旧高旧領」147石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「浜元・成見・生田・山元・川瀬」があり(清水村と共通する),反別は田15町5反余・畑屋敷2町余(屋敷地9反余),田は上田から下々田まで,畑は中畑から下々畑まで設定されている元禄3年には後潟組に属し,村位は下(平山日記)宝暦9年の郷郡中郷村位村帳(弘前図書館蔵)でも村位は下とある周辺村々の記事がある享和2年の伊能忠敬「測量日記」や嘉永3年の松浦武四郎「東奥沿海日誌」には当村のことが記されず,家数・村況については不明である明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)には,村名が見えるが廃印がついており,この頃までには廃村状況にあったものと思われる・明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」にも村名は見えないなお,明治7年の県管内村名簿には一村として見え,のち清水村に合併したという印があり,明治9年頃清水村の一部となったと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
赤川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」