ケータイ辞書JLogosロゴ 芦刈村(近世)


佐賀県>芦刈町

 江戸期の村名。小城郡のうち。芦ケ里村(正保国絵図)とも書き,芦刈小路(小城郡平吉郷図)ともいう。佐賀本藩領。平吉郷に属す。「玄梁院様配分帳」では神代弾正が地米高1,225石余を知行する。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では434石余,「天保郷帳」では686石余,「旧高旧領」では1,680石余とある。文化8年の小城郡平吉郷図によると散村の形態で,中央に館屋敷が記載されており,神代氏の旧館地である。西北に西から安養寺・真中院跡・福寿寺・福田寺(神代氏菩提所)が並び,東北に天満宮,すぐ西方に白山権現,東北隅に養明寺がある。文化11年の小城郡里郷之図によると,勝屋・木嶋溝両井樋筋掛の村で,北に八寸井樋がある。当地一帯はたびたび高潮と洪水の被害を受けており,文政7年には洪水により家屋流失,また同11年の大暴雨は「芦刈は総村中残らず立ちたる家なし」(野田家日記)と記録され,天保14年の高潮は特に被害が甚大であった。菅原道真を祭神とする天満宮は,13世紀初頭の建暦・建保年間頃に太宰府天満宮より分霊を勧請したといわれ,小城郡南部の五百町【いおまち】・南【なん】・平吉3郷の宗廟総社。また,15世紀末以後は千葉・鴨打・徳島・持永各氏に代々崇敬され,神代氏の入部後は同氏の篤い崇敬を受け,献供料田地1反7畝と毎歳米5石の寄進を受けた。神社はほかに瀬織津姫命を祀る瀬川神社がある。曹洞宗鶴鹿山福田寺は地蔵菩薩を本尊とし,竜造寺家兼の娘阿福の創建という。のち神代氏の菩提所となり,境内には徳島氏歴代の墓石が並ぶ。臨済宗南禅寺派仏日山永明寺は釈迦如来を本尊とし,元亀年間に創建され,斎谷椿の開山という。同寺には江戸中期の勤皇家横尾紫洋の墓がある。そのほか浄土真宗本願寺派円心寺・常心寺,徳峰の開基という臨済宗南禅寺派己身寺がある。明治4年佐賀県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では枝村に浜中村・立野村がある。「郷村区別帳」では枝村に浜中村・三条村・立野村・汐土居村があり,反別は189町余。「明治11年戸口帳」には芦溝【あしみぞ】村の枝村に芦刈村(戸数67・人口299)が見え,また三王崎【みおうざき】村の枝村に三条村(57戸・256人),浜枝川村の枝村に立野村(19戸・109人),芦刈浜中(36戸・156人),八枝浜中(44戸・207人)が見える。これら芦刈村諸村は明治22年までに芦溝・三王崎・浜枝川各村のうちに3分された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7444284
最終更新日:2009-03-01




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