泉村(近世)
江戸期の村名。三根郡のうち。佐賀本藩領。下村郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに400石余,「天保郷帳」では418石余。「旧高旧領」には見えない。「宝暦郷村帳」では小村に田代村があるが,「天明郷村帳」では田代村は1村として見える。給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では山崎久太夫40石,「大小配分石高帳」では鍋島山城266石余・田中左弥太21石余・相良源兵衛10石・山領仲5石。市武村のうちの六田宿と家並み続きで接していた。鎮守は八幡宮で,松枝村の宇佐八幡宮の末社。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに寄人【よりうと】村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,寄人村のうちに「和泉村」と見え,戸数29・人口147。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7444393
最終更新日:2009-03-01