ケータイ辞書JLogosロゴ 岩屋(近代)


佐賀県>厳木町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ厳木村,昭和27年からは厳木町の大字。明治20〜30年代に石炭の開発が進み,貝島炭坑資本が進出,明治33年に新屋敷鉱山・岩屋鉱山・七曲鉱山・藤ノ頭鉱山・安ノ浦鉱山・稲荷山鉱山・野口鉱山・深谷鉱山・五間岩鉱山などを買収した。同年本山に開設された岩屋駅は岩屋・本山地方などの石炭輸送に大きな役割を果たし,川船輸送は漸次なくなった。大正14年の世帯数121・人口621(炭鉱を含まない)。第1次大戦後の炭鉱不況は深刻で,同13年新屋敷で採炭していた唐津採炭株式会社が倒産し,古川鉱業株式会社として再出発した。昭和6年には大辻炭屋鉱業所が倒産。石炭需要の回復とともに,新屋敷炭坑(日満鉱業)が増産に力を入れ,戦時の国家総動員法に基づく徴用労働者,朝鮮からの労働者も多かった。戦後傾斜生産方式による石炭産業の保護もあって,日満新屋敷炭坑では15万5,000tと増大した。昭和24年には日満新屋敷炭坑1,111世帯・5,360人,新岩屋炭坑なども開かれ黒ダイヤ基地の観があった。朝鮮動乱後の景気後退によって,同29年に新屋敷炭坑が一時休山し,さらに再出発したがエネルギー革命の影響で閉山し,ボタ山だけが残った。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7444488
最終更新日:2009-03-01




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