ケータイ辞書JLogosロゴ 木須(中世)


佐賀県>伊万里市

 鎌倉期〜南北朝期に見える地名。松浦郡のうち。治承2年6月20日付後白河院庁下文案に最勝光院領肥前国松浦荘の四至として,「限東松浦河并東郷堺山 限南大瀬并杵島庄堺 限西木須嶺并波多津西崎 限北海并加々良嶋」とあり,「木須嶺」の名が見える(東寺百合文書サ/平遺3836)。その後寛元4年8月13日,松浦党党祖源久の曽孫にあたる源上(さいねん)は,子息で伊万里氏の祖に当たる源留へ宇野御厨内の所領を譲与,その譲状の中に「きすのをゝた五反」「きすゝ三反」「きすゝにそ」などが記され留は文永6年7日20日,子息勝へとそれらの所領を譲与。同譲状中にも「光重名 伊万里三坪参段参杖,岐須里三坪参段参杖」とある(伊万里文書/平戸松浦家資料)。「きすゝ」とあるのは木須洲のことであろうし,「岐須里」の地名は古代条里制の名残を示すものであろう。下って,南北朝期,永徳4年2月23日付の著名な松浦党一揆契諾状中には「きす 因幡守壱」の署名が見える(松浦山代家文書/佐史集成15)。伊万里市木須町西部の里には木須城址があり,「因幡守壱」の居城と伝える。また,付近には永禄9年銘の六地蔵石幢をはじめ石造物が多く,木起神社などもある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445087
最終更新日:2009-03-01




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