ケータイ辞書JLogosロゴ 久保田村(近世)


佐賀県>久保田町

 江戸期〜明治22年の村名。佐賀郡のうち。佐賀本藩領。大俣郷に属す。村高は「天明村々目録」では389石余,「天保郷帳」では408石余,「旧高旧領」では1,803石余。給人・地米高は「玄梁院様配分帳」では村田宮内761石余,「大小配分石高帳」では鍋島讃岐761石余。「宝暦郷村帳」では小村に福所村・新ケ江村がある。「天明郷村帳」では小村に式町・上新ケ江・西古賀・下新ケ江・福庄がある。文化13年秋,狂言が興行され,翌年9月人別に献金が賦課されており,天保4年には天神様の250年祭があった(野田家日記)。地内に久保田宿がある。明治4年佐賀県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では枝村に永里村・下満村・久保田宿がある。「郷村区別帳」では枝村に久保田宿・永里村・下満村があり,反別200町余。「明治11年戸口帳」によれば,当村は久保田村(135戸・720人),永里村(57戸・318人),下満村(7戸・35人),久保田宿(69戸・307人)に分かれており,合計戸数268・人口1,380。明治2年当地他11の郷村に兵団が設けられ,当地では村田竜吉が兵団長となる。同3年医学会議所を建設。明治22年久保田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445174
最終更新日:2009-03-01




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