ケータイ辞書JLogosロゴ 五町田村(近世)


佐賀県>塩田町

 江戸期〜明治22年の村名。藤津郡のうち。蓮池【はすのいけ】藩領。塩田郷に属す。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに689石余,「天保郷帳」では809石余,「旧高旧領」では1,427石余とある。「宝暦郷村帳」では1村として見えるが,「天明郷村帳」では袋村の枝村として見える。用水は塩田川より疎水で取水。鹿島藩の北部の村々は用水に困り,塩田川からの取水を蓮池藩に長年交渉していたが,享保16年の凶作を機に協定が成立し,天明4年当村から疎水で鹿島藩領に給水した。享保12年雉子が多く耕作に困り,藩に鉄砲の使用を願い出たが不許可となった(蓮池藩請役所日記)。蓮池藩祖鍋島直澄は晩年当地に隠居し,寛永9年没した。遺言により当村の吉浦の至誠山上に葬り,吉浦神社となった。サクラ・ツツジの名所。4月5日の例祭は「お山さん祭」と呼び参詣者が多い。参道の眼鏡橋は元禄年間の作で県下で最古。直澄の遺体火葬場跡といわれる場所に織部灯籠1基がある。境内社に文彦社があり,直澄の島原の乱出陣に関連して江戸で有名になった乳母網を祀る。吉浦神社の裏手に臨済宗妙心寺派清涼山光桂寺がある。直澄の5女照圭禅尼が父母の菩提を弔うために建立。山門の左右に塩田石工の代表作の1つである石造仁王像がある。籾岳城のあった山の中腹に城主の氏神籾岳観音があったが,江戸期に廃寺となり,観音像は塩田の常在寺に移った。明治4年蓮池県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」では枝村に袋村・美野村がある。「郷村区別帳」の反別264町余。「明治11年戸口帳」によれば,当村は美野村(232戸・1,049人),五町田村(166戸・786人),袋村(50戸・242人)に分かれており,合計戸数448・人口2,077。「藤津郡村誌」によれば,戸数383・人口2,005,職業別戸数は農業280戸・商業32戸・工業31戸,物産は米2,700石・麦1,050石・木綿1,500反・陶器2,240包。明治22年五町田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445306
最終更新日:2009-03-01




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