ケータイ辞書JLogosロゴ 里村(近世)


佐賀県>伊万里市

 江戸期〜明治22年の村名。松浦郡のうち。佐賀本藩領と小城【おぎ】藩領。山代郷に属す。「慶長国絵図」には「里村 脇野ノ内」と見える。村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに434石余,「天保郷帳」では476石余,「旧高旧領」では佐賀本藩領24石余・小城藩領353石余。「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に小路村がある。安政2年郷村帳には小路のほか曳地・大野・平山・後郷・古町・館・越前・名屋の名が見える。当村を含む一帯は小城藩重臣田尻氏の所領で,館を鹿山【ろくざん】に構えたが,家臣団は当村の中心部に居住し,小路【くうじ】と呼ばれた。ほかの家臣や被官は,小城足軽・小城家中被官らとともに山代郷内に分散して居住し,農業にも従事した。青幡神社は村下手の黒川扇状地の扇端にあり,田尻氏が祭祀をつかさどり,山代郷村々から浮立を奉納する習わしとなった。拝殿前の鳥居は寛永2年春種の建立で大旱魃の雨乞い・悪疫退散を祈って大念仏踊りが郷内村々から奉納され,この様子は,「去年(嘉永6年)夏大旱魃ニテ雨乞数テ知(ラ)ス,七月十七日大念仏有,青幡社・白幡社・大庄屋・御屋舗。惣テ皆大照リ居候処,八ツ過ヨリ大雨」「(安政4年)七月十七日近来ヨリ当村(立岩村)引寺大正院家内ネツ流行病相煩候,……当古賀其外へモ大念仏才不有,其外他古賀ヘモ百万遍其外色々有」などと記録されている(山本家日記)。明治4年佐賀県と小城県,同年伊万里県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに枝村に滝川内・川内野があり,「郷村区別帳」では反別292町余。「明治11年戸口帳」によれば戸数91・人口456。明治11年西松浦郡に属し,同22年東山代村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445395
最終更新日:2009-03-01




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