ケータイ辞書JLogosロゴ 佐留志祖子分村(近世)


佐賀県>江北町

江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち佐賀本藩領横辺田郷に属す佐留志庶子分・祖子分とも書く(杵島郡史)牛津【うしづ】川下流西岸に位置する地名の由来は戦国末期佐留志を領有した竜造寺隆信の家臣前田伊予守家定の次子(庶子)石若丸が庶子分として支配したことに始まる村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」では923石余,「天保郷帳」では1,162石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では祖子分村とあり,小村に鳥屋(合とも)宿がある「玄梁院様配分帳」では地米高609石余を鍋島大和が知行「大小配分石高帳」では,地米高25石余を志波嘉左衛門に知行農業用水は牛津川支流多久【たく】川下流に設けられた羽佐間堰から取水する羽佐間水道により,水路は約10kmに及ぶ(疏導要書)御岳山南麓の枝村鳥井町村は長崎街道沿いに位置し,小田宿と牛津宿の中間に街村を形成していた(江北町史資料)「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」に見える鳥屋(合)宿は当村の別称か(同前)長崎オランダ商館医ケンペルが元禄年間に記した「江戸参府紀行」に,「鳥井町は,小田から半里離れた細長い町で,そこで初めて肥前の婦人を見た彼女は,この地方のすべての婦人と同様に美しい姿をし,行儀の良い身のこなしをしているが,大そう厚化粧していたので,我々はこの娘を危うく人形と間違えるほどであった彼女たちは小さい体をしているが,大変若々しく歩き回るので,まだ未成年と思っていたが,それにもかかわらず乳を飲む子供を連れて歩いていたそのことは少なからず我々に不審の念を起させた彼女たちは結婚してしまうと,すぐ眉毛をそってしまう」と記され,当時の風俗を知る手がかりとなるまた当村は安山岩質のサヌカイトの原石で旅人が叩くと,カンカンと澄んだ音色を出す「カンカン石」を産出する(江北町史資料)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では惣領分村の枝村として見える「明治11年戸口帳」では,惣(総)領分村のうちに「祖子分村」と見え,戸数71・人口362
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445412
最終更新日:2009-03-01




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