ケータイ辞書JLogosロゴ 立野川内村(近世)


佐賀県>山内町

江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち立野河内村・竪川内村とも書く神六山の北麓一帯と松浦川の上流,狩立川流域の盆地一帯に位置する地名の由来は山あいの川筋に立地することによると考えられる佐賀本藩領武雄【たけお】郷に属す村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では274石余,「天保郷帳」では420石余,「旧高旧領」には見えない給人・地米高は「玄梁院様配分帳」では鍋島十左衛門198石余「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では小村に水尾村・板ノ河内村がある鎮守は八幡神社,寺院は真言宗大覚寺派悉地院,安養院・正覚寺・殊載院板の川内には古窯跡,百間窯跡があり有田の天狗谷,西有田の原明の古窯跡とともに江戸初期の登窯として李参平の窯跡とされる「明治7年取調帳」では宮野村の枝村として見え,「郷村区別帳」では大野村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば宮野村のうちに「立ノ川内村」と見え,戸数224・人口1,044
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445816
最終更新日:2009-03-01




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