ケータイ辞書JLogosロゴ 恒安名(中世)


佐賀県>久保田町

 鎌倉期に見える名田名。佐賀郡太俣郷のうち。嘉応2年6月19日の鎮西下知状によれば,晴気保地頭宗像氏盛は「恒安十カ末吉名」の地頭であり,多久宗経に押領されたと訴え,認められている(宗像神社文書/太宰府天満宮文書9)。下って戦国期の当地には永禄年間,武雄領主後藤貴明が自運庵という草庵を建て住んでいたが,竜造寺隆信に追われて塚崎城(武雄城)に逃れた。元亀元年には満岳武蔵守藤原宗久が父宗成の遺志を継いで貴明の草庵を改築し,満岳山竜顔寺を創建し,恒安に居館したといい,居館跡が現存する。宗久の出自は不明であるが,後藤貴明が恒安に移り住む以前の領主であったかもしれない。天正年間,隆信と貴明は和睦し,貴明の子家忠を養子として五百町の領地を与え,恒安に居館させたという(久保田町史)。その後真宥坊宛ての村田安良寺地寄進状に「肥前国小城郡大俣庄恒安村之内」と見える(西持院文書/佐史集成20)。村田安良は竜造寺政家の次男で久保田に住し,政家の隠居領の領地をつぎ,姓を村田と改めた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445913
最終更新日:2009-03-01




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