ケータイ辞書JLogosロゴ 恒安村(近世)


佐賀県>久保田町

 江戸期の村名。佐賀郡のうち。佐賀本藩領。大俣郷に属す。村高は「正保国絵図」「天明村々目録」では756石余,「天保郷帳」では809石余。「旧高旧領」には見えない。給人・地米高は「玄梁院様配分帳」では村田宮内546石余,「大小配分石高帳」では鍋島讃岐546石余。「宝暦郷村帳」では小村に福嶋村・福田村があり,「天明郷村帳」では小村に福嶋・館屋敷・福田・口ノ坪・王子がある。寛永5年,佐賀藩四親類の1家,村田安良は真宥坊に屋敷2反余を寄進した(西持院文書)。延享元年,村田政義は興善寺に敷地2反余・石高1石6斗余を免除した。「久保田町史」によれば,松土井内として恒安搦,1町7畝8歩が記されている。牛津の商人野田家の日記によれば,文化13年3月28日より17日間,王子権現の遷宮があったとされる。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では久富村の枝村として見える。「明治11年戸口帳」によれば,久富村のうちに「恒安村」と見え,戸数52・人口270。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7445914
最終更新日:2009-03-01




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