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友田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
友田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
友田村(近世) 江戸期~明治9年の村名玉名郡のうち友田川中流右岸の丘陵上に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」598石余慶長11年の上村検地帳(県立図書館蔵文書)の表紙に異筆で当村など7か村が書き加えられており,また元禄国絵図(永青文庫)では「上村の内友田村」とあり,当村は上村から分村したことを示している宝暦年間の知行人は藪久・荒瀬・財津・岡田・高瀬・宇野・白木・天草の8氏(草村家文書/岱明町地方史)天保15年の坂下手永略反別手鑑帳(多田隈文書)では,田33町7反余・畑14町8反余,竈数80・人数297,馬54「肥後国誌」によれば,上村のうちと見え,坂下手永に属し,高588石余,小村には陣村・下林村が記され,大明神社・満福寺跡(禅宗,現観音堂)を記す陣村には陣屋敷があり,濠が残る熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年満村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
友田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」