ケータイ辞書JLogosロゴ 永田(近代)


佐賀県>芦刈町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ芦刈村,昭和42年からは芦刈町の大字。南部の松土居は前面に築造される潮土居の土取場となり,各所で切り取られ,マツもほとんど残っていない。大正3年の高潮で松土居の外側の干拓地は防潮堤の決壊で海水をかぶり,大被害を受けた。昭和24年のジュディス台風では,嘉瀬川の氾濫で松土居以北の土地が洪水の大被害を被った。同49年住ノ江東区に芦刈漁協事務所を新築,隣接して海苔網冷凍冷蔵庫も完成。同年大助搦に県有明水産試験場を設置。弁才にカントリーエレベーター(貯蔵米2,000t)も完成した。同50年六角川と牛津川の合流点に六角川河口堰が完成し,高潮を食い止めるとともに年間1,000万tの灌漑用水を供給する。同54年の世帯数・人口は永田東北区が55世帯・261人,永田南区61世帯・248人,六丁区97世帯・444人,弁才区85世帯・402人,住ノ江西区124世帯・522人,住ノ江東区88世帯・422人である。全体の田地面積は328町歩。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7446091
最終更新日:2009-03-01




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