ケータイ辞書JLogosロゴ 長野村(近世)


佐賀県>基山町

 江戸期〜明治22年の村名。基肄【きい】郡のうち。対馬藩田代領。基肄上郷に属す。村高は,「肥前国郷村畝高帳」によれば文禄検地高145石余,慶長検地高160石余。貞享元年343石余,宝永8年160石余(基山町史)。「慶長国絵図」「正保国絵図」では160石余,「天保郷帳」では343石余,「旧高旧領」では1,021石余とある。ただし,貞享元年「天保郷帳」では金丸村を,「旧高旧領」では奈良田村・野口村をそれぞれ含むと思われる。宝永2年の田代領郷村人高竈数書上帳によれば,竈数23でうち名子は9。文政9年の肥前国基肄養父御領分地高定免御物成并竈数人高吟味帳によれば,竈数67で,うち名子は8,人数330。天満宮は菅原道真を祭神とし,文政元年11月に勧請された。社殿の規模は神殿1間角,拝殿は2間の3間で,摂社に早馬【はゆま】天神がある。光連寺はもと天台宗で智音院と称したが,明応7年僧了山が浄土真宗西本願寺派に転宗したと伝えられる。明治4年厳原県・伊万里【いまり】県,同5年佐賀県,同9年三潴【みずま】県・長崎県を経て,同16年佐賀県に所属。「明治7年取調帳」「郷村区別帳」では枝村に奈良田村があり,「郷村区別帳」によれば反別94町7反余。「明治11年戸口帳」によれば,当村は奈良田村(61戸・320人),長野村(54戸・295人)に分かれており,合計戸数115・人口615。なお,「基肄郡村誌」によれば明治5年奈良田村・野口村を併合したという。同誌によれば税地は田84町余・畑10町余で地租改正後は,田96町余・畑19町余,宅地7町余となった。貢租は地租米381石余・大豆17石余・秋山米1石余・大麦7石余・小麦272石余・藪税金54銭余,地租改正による地租金1,416円余,戸数は士族2・平民158・浄土真宗寺1,人数は士族12・平民836,牛10・馬57。神社として天満神社2・山王社・八幡社・宗天神社・天神3・海童社・厳島神社の10社がある。物産には櫨実8,000斤がある。明治22年基山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7446109
最終更新日:2009-03-01




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