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- 西牟田村(近世)とは
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![]() | 西牟田村(近世) 江戸期~明治10年の村名上益城【かみましき】郡のうち西無田村とも書く託麻台地南端のすそ部と秋津川以南の氾濫原からなる地名のムタは湿地・泥地の意熊本藩領村高は「旧高旧領」668石余「肥後国誌」では沼山津手永に属し,沼山津村のうちとあり,高405石余小村に間島がある間島は,木山川・秋津川・矢形川の合流点にあって,水運の便がよく,戸島・山西方面,また道明・戸次方面からの物資が同地に集まり,川尻に運ばれたという(秋津村略史)氏神は雨ノ宮(現西無田神社)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同10年秋田村の一部となる現在の熊本市秋津町秋田・若葉4~6丁目・栄町・南町の各一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」