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浜町(近世) 江戸期の町名伊万里【いまり】町のうち伊万里川下流域に位置する「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」に町名が見える明暦元年「高庄唯太夫覚書」に「元和弐辛巳之年某親善左衛門浜町いまだがた(潟)にて御座候を更に不審(普請)仕り雑(造)作いたし,云々」とあるまた「伊万里歳時記」巻2に,「御上納は新田村江相納来候由,人は武雄之者ニ御座候一体触事は武雄高橋代官大久保伊右衛門より申来候由浜町別当役右代官より申付候由家数四拾四五軒之所津内ならび陶器商人専に而,貫銭之儀は津内同様相懸居候由」と見える慶応4年の竈数52軒,うち陶器商人9・陶器荷師15(浜町屋舗人別竈数改帳/高庄家文書)天保6年の陶商数11,同11年の荷師(荷社)数27(伊万里歳時記巻2)明治5年の戸数65 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
浜町(近世) 江戸期の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
浜町(近世) 江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷北組のうちもと七郎右衛門町の一部(初発言上候帳面写/大阪市史5),江戸中期から当町名が見える町名は西横堀の浜の意「西よこぼりひがし側はまかハの丁,あハち町通よりあひをひばしすこしミなミ迄」の町(宝暦町鑑)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば家数21軒,役数26,うち無役数3(年寄・会所・北組地下樋上屋敷),年寄は岩田屋四郎兵衛材木商の集住した地で,「北ハ七郎右衛門町一丁目・二丁目より浜町・長浜町・椹木町及び西笹町・五幸町等凡十五町余の間材木屋軒をつらねて目覚し」とある(摂津名所図会大成/浪速叢書8)明治2年大阪東大組に所属同5年横堀1~6丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
浜町(近世) 江戸期~明治11年の町名江戸期は府中(厳原【いずはら】)城下のうち府中商人町24町の1町地名は海に面することに由来する地内には浜の小路・鍛家小路・幸田小路・三軒屋などがある三軒屋というのは,海浜に堤を積み重ねて潮水をとどめ住居をつくった所で,初め3軒が住んでいたためという(津島紀事)その南方海中には寛文7年に中やらい(防波堤)が築かれ,内側に船溜りが設けられた明治2年の戸数は浜北町31・浜南町29(県史藩政編)同11年国分町に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」