ケータイ辞書JLogosロゴ 三瀬村(近代)


佐賀県>三瀬村

 明治22年〜現在の神埼郡の自治体名。藤原山村・三瀬村・杠【ゆずりは】山村の3か村が合併して成立。藤原【ふじばる】・三瀬・杠の3大字を編成。標高370〜867mの山村で,総面積のうち耕地15%・林地76%・宅地0.8%。明治39年〜大正10年三瀬保護区の本格的造林事業により,スギ・ヒノキが主で262haが植林された。江戸期より生産されていた木炭は,第2次大戦に入る昭和16年には重要物資に指定され,年間生産量は約5万俵であった(三瀬村誌)が,戦後石油にとって代わられ,昭和44年には生産量は皆無となった。昭和6年村全域に電灯が点く。同7年電話交換業務が三瀬郵便局で開始,同27年飛地多数共同電話が架設された。昭和26年国保組合診療所が開設。昭和22年三瀬中学校開校。そのほか明治19年〜昭和22年村立農業青年学校が,昭和27〜51年神埼農業高校三脊分校三瀬教室があった。山村のため雪害・水害などの自然災害を受けやすく多くの被害にあっている。明治28年県下に大暴風雨が襲来し小学校が流失。昭和38年集中豪雨で田畑や橋が流れ,山崩れを起こし死者3名を出した。同43年大雪で交通が止まり,山林1,873haが被害を受け,うち698haは復旧したが残りは全滅,被害総額は2,217万1,000円に上った(県災異誌)。婚姻は,明治21〜44年村内43%・隣接村内55%・県内1.25%・県外0.75%,大正元年〜昭和5年村内25.4%・隣接村内60%・県内8.6%・県外6%,昭和6〜27年村内27.8%・隣接村内43.5%・県内15.7%・県外13%であった(水漬く山里)が,現在は村内はわずかで,通婚圏は広がっている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7446795
最終更新日:2009-03-01




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