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![]() | 三根郡【みねぐん】 (中世~近世)南北朝期~江戸初期に見える郡名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 三根郡(中世~近世) 南北朝期~江戸初期に見える郡名対馬国のうち三禰郡・峰郡・嶺郡・美女郡とも記す対馬八郡の1つ延文4年12月5日の宗経茂充行状に「つしまのしまミねのこほりのさいちやう新兵衛太郎のあとの田地畠地くりす等」とあるのが,早い史料である(阿比留学所蔵文書/南北朝遺4162)このあて名は「ミねの大せう九郎とのへ」となっており,当地には峰を称す氏族がいたことが知られるこの峰氏は本姓阿比留氏であり,阿比留峰氏は代々対馬の大掾職を相伝してきた一族で,宗氏の勢力が峰郡に浸透するまでは,当郡に大きな勢力をもっていた文明13年3月5日の阿比留長門守跡所領注文写の段階においても,阿比留氏は峰郡の小峰の内で36か所の田畠・木場を所有していた(三根郷御代々御判物写/県史史料編1)室町期に入ると,応永6年正月11日の宗貞茂書下写によれば,「つしまの島ミねの郡内しミやう(死名)跡之事」が,宗六郎に充行われ,宗一族の勢力が扶植され,峰郡は完全に島主の直轄領となる宗氏7代目の島主貞茂は三根郡佐賀に居館を置き,以来,貞盛・成職・貞国の4代78年間にわたって対馬国の統治の中心となった直轄領であるため,郡主は置かれなかったが,長禄2年2月7日の宗茂(成)職書下写によれば,宗右馬助およびその子孫に対して「一,峰之郡京賤之事,一,嶺之郡まるいち之使之事,一,殿中ゑたによらすはせ入の事,一,依自讃哥所望佐賀之浦之使の事,殊他国和国之船ニよらす下知之事,一,荒山之きりあけ之事,一,佐賀之津いち之事,宗上総守殿と両奉行津いちより外ハ,存知之人有間敷候,一,宮寺によらす下知之事,一,軍陣在陣之時之下知之事,一,八郡之人かすへの狩使之事」などの権限を認めているが,この中に峰郡内に関する権限がいくつか含まれているのが注目される(歩行御判物帳/同前)このほか,峰郡・三根郡・三禰郡・嶺郡の称は三根郷御代々御判物写等に散見し,「海東諸国紀」には「美女郡」の称が見えるが,宗氏の発給文書の上では,貞享5年の宗義真の書下を最後に峰郡の郡名称は見えなくなる(三根郷御代々御判物写/同前)なお,島主貞茂が佐賀に居館を構えた応永15年頃より,郡内の西部を小峰郡,東部を大峰郡と呼ぶようになったといわれ,文明4年9月2日の宗貞国書下写,文明17年11月1日の宗盛俊書下に「小峰郡」「こミねのこうり」が見え,永正18年12月22日の宗貞勝書下写に「小峰の郡司」が見える(同前)しかし,大峰郡については,史料に見えない寛政15年の当郡の所属村は,「こみね・したか・つやなき・かれう・よし頭・さか・かさ・あふミ・くちへ・くし・きさか」の11か村(寛永15年毎日記/県史藩政編)元禄年間に郡は郷と改称し,当郡は三根郷と称されるようになる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三根郡 平安期から発達した荘園については矢俣保,米多荘,中津隈荘,綾部荘などがあり,正応5年の惣田数注文に「矢俣保三百三十丁」,「米多庄三十四丁」,「中津隈庄百六十丁」,「綾部庄七十丁」のほか,「三根東郷二百六十六丁二反一丈」,「同西郷三百九十三丁九反」とみえている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三根郡【みねぐん】 古代~明治29年の郡名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 三根郡 明治11年郡区町村編制法により改めて発足... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三根郡駅【みねぐんのえき】 (古代)奈良期の駅名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 三根郡駅(古代) 奈良期の駅名三根郡のうち「延喜式」には見えないが,「肥前国風土記」三根郡条に「駅壱所」とある肥前国府の想定される大和【やまと】町尼寺から以東では直線状の道路遺構が確認されることから,「延喜式」のころの駅路と奈良期の駅路とは異なっていたと考えられる特に当駅の次の神埼【かんざき】郡駅が神埼町田道ケ里の駅ケ里【やくがり】に比定されることから,同地より目達原【めたばる】の丘陵地を直進し,北茂安【きたしげやす】町の寒水【しようず】川に沿う北茂安町東尾の川原【こうばる】付近に駅があったのではないだろうかまた「肥前国風土記」の内容から三根郡家がこの川原(郡原の転化か)付近にあった可能性が強く,あるいは郡家と同所であったとも考えられるそうであれば,郡名を負う三根駅が推測される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」