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- 横大路(中世)とは
「横大路(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 横大路(中世) 南北朝期に見える地名摂津国河辺郡のうち永和元年諸堂造営料棟別銭郷村注文に「一保野谷・横大路・黒河・頸崎 一貫文」とあり,多田院から当地などに棟別銭徴収のため使を入れたが,計1貫文の料足は結局多田院政が沙汰したという(多田神社文書)江戸期の「五畿内志」によれば,横地村を多田荘内とし,「長治二年作横大路」と注記している現在の川西市横路に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 横大路(中世) 戦国期に見える地名葛下【かつげ】郡のうち永禄6年の平田荘毛見帳(天理図書館所蔵文書)に「二段〈字サヰカイシ〉得〈五斗 ヨコヲウチ宗三郎,イソノ弥三〉」「四斗上 ヨコヲウチ宗三郎」とあり,当地の百姓が見える下って慶長4年の「横大路村検地帳写」では田畑62町4段余,石高770石余となっているが(横善文書),近世には三倉堂村となった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」