ケータイ辞書JLogosロゴ 呼子(中世)


佐賀県>呼子町

 南北朝期に見える地名。松浦郡のうち。応安5年2月の斑島地頭尼代某軍忠状に「肥前国松浦呼子⊏⊐」と見え(有浦家文書/佐史集成19),同年3月の橘薩摩公与軍忠状にも「肥前国上松浦呼子津」と見える(橘中村文書/佐史集成18)。その他同年2月の竜造寺文書にも「呼子津」の名が見られ,これらはその前年11月19日,今川了俊の弟仲秋が呼子に上陸し,松浦党諸氏を味方に加え,南朝方菊池氏を圧倒した際のもので呼子港は上場【うわば】台地を背後にひかえた天然の良港で,当時軍事拠点となったことが知られる。李氏朝鮮の史料「海東諸国記」にも「乙酉年遣使来朝書称呼子一岐守源義約歳遣一二船小二殿管下居呼子有麾下兵称呼子殿」とある。この他,中国(明)の「図書篇」の肥前の項に「雄婆哥」,「東海夷実図」に「鳴子浦」,「濤海図編」に「日本楊哥」「雄哥」「継波哥」と見えるのはすべて呼子を指すといわれる(呼子町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447123
最終更新日:2009-03-01




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