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上滝村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上滝村(近世) 江戸期~明治7年の村名那須郡のうち那珂川上流域に位置する天正19年5月6日の那須資景知行目録では「たき村」と見え,390石1斗7升・123石7升とある(那須文書/県史中世2)「慶安郷帳」では那須衆那須氏領,「元禄郷帳」では旗本上野氏知行,「改革組合村」では滝と見え幕府領(代官北条雄之助),「旧高旧領」では旗本山内氏知行村高は,「慶安郷帳」257石余(田193石余・畑64石余),「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに402石「改革組合村」では下滝村と合わせて滝村と見え,黒羽町組合寄場に属し,天保年間の家数50天保14年の徳川家慶の日光社参の折,当村は日光街道今市宿の当分助郷を命じられている(県史近世4)明治4年宇都宮県を経て,同6年栃木県に所属明治7年滝村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上滝村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上滝村(近世) 江戸期~明治7年の村名浜通り南部,鮫川上流沿岸に位置する菊多郡のうち慶長年間に滝村が上滝村・下滝村に分村して成立はじめ磐城平藩領,寛文4年から棚倉藩領村高は,天保7年の松平康爵領村高および「旧高旧領」ともに625石余明治7年下滝村と合併して滝村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」