ケータイ辞書JLogosロゴ 相浦(中世)


長崎県>佐世保市

 南北朝期から見える地名。肥前国松浦郡のうち。永徳4年2月23日の松浦党一揆契諾状に「〈あいのうらのはら〉能登守超」の名が見え,当地に松浦党に参加する武士がいたことが知られる(青方文書/史料纂集)。下って永正5年6月11日の松浦弘定寄進状に「肥前国下松浦宇野御厨庄相神浦於大浦分之内田地五段」とあり,安満岳白山宮(平戸市)に寄進されている(松浦文書類/大日料9-1)。なお,当地の新豊寺は豊後泉福寺住持の融適によって開かれた(泉福源灯録/同前7‐20)。また,「図書編」に「愛奴乎喇」とあり,当地は朝鮮との貿易を行った港であったと考えられる。今福(松浦市)から進出した松浦丹後家は,15世紀の後半,佐世保から当浦の一帯に勢力を張り,「海東諸国紀」には「松浦丹後守盛」などが見え,盛んに朝鮮との交易を行っている(佐世保発達史)。しかし,16世紀に入ると,先の永正5年の交易に見るごとく,当地は平戸松浦の勢力下に置かれたようである。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447176
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ