ケータイ辞書JLogosロゴ 浅藻(近代)


長崎県>厳原町

 昭和33年〜現在の厳原【いずはら】町の大字名。もとは厳原町豆酘の一部。漁業が主体で農業も行われている。近年離島振興法により港湾が整備された。当地は旧豆酘村の共有地で,古来天道法師の神域として崇め恐れられて居住者はなく,海岸は波打ち際まで未開の巨木に覆われていた。明治7,8年頃より山口県の出漁者に対馬南端が海の宝庫として知られ,定住者も増す一方,市丸馬太郎・大谷兼作などにより奥浅藻が開拓され農業従事者も定着するようになった。当時の学制で豆酘小学校区に属していたが,豆酘小学校への通学は悪路と里程のために極めて困難で,日々登校する者はほとんどなく無教育の状態であった(厳原町教育史)。明治41年には民家の一隅に豆酘学区尋常小学校浅藻分校が開設された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7447209
最終更新日:2009-03-01




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